平成27年7月、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、8県11市にまたがる23資産が世界遺産に登録されました。
その中に、北九州市にある「官営八幡製鉄所」が含まれています。19世紀後半から20世紀初頭にかけての日本の近代化の土台となり、鉄鋼業を支え続けた製鉄所です。
日本のモノづくりや科学技術の発展を現代に伝える役割も果たした「八幡製鉄所」をご紹介します。
八幡製鉄所ってどんなところ?
明治30年、日本で初めての近代的な製鉄所として現在の北九州市につくられました。急激な近代化にともない、自国で鉄鋼材を生産するためにつくられたのです。その訳は当時、鉄鋼材を外国から輸入する費用が大きく、国家財政を圧迫していたからです。そうして、日本の重工業発展にむけ、国家事業として鉄鋼一貫製鉄所がつくられたのです。
設立当初は、ドイツのグーテホフヌングスヒュッテ(GHH.)社の製鋼や高炉の技術が導入されました。その後、日本人技術者の手で改良・改造が加えられます。「日本の鉄鋼生産の歴史は八幡製鉄所の操業が始まりである」と言われているのは、明治期以降の日本の産業活動を鉄鋼生産からサポートし、重工業発展の一翼を担ったからです。
世界遺産に登録された施設って?
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」として、官営八幡製鉄所関連の4施設が登録されています。一つ目は「官営八幡製鉄所修繕工場」です。八幡製鉄所の中心的な施設で、1900(明治33)年、八幡製鉄所の創業1年前にドイツのグーテホフヌングスヒュッテ社(GHH.社)の設計によって建築されています。建築当初はドイツ製の鋼材が使用されていましたが、増築するにつれて日本の鋼材に変わったのが特徴です。そのため、建物の建築過程そのものに日本の鉄鋼生産の歴史をうかがうことができます。
二つ目が修繕工場と同じ年度につくられた「旧鍛冶工場」です。現在は操業当時の貴重な資料約4万点を保管する非公開の史料室の役割を担っています。また、三つ目の「旧本事務所」と四つ目の「遠賀川水源地ポンプ室」は、どちらもイギリス式のレンガ積みが特徴の建物です。旧本事務所は中央にドームを持つ左右対象の赤煉瓦づくりが魅力です。遠賀川水源地ポンプ室に関しては現在も稼働しており、動力を電気から蒸気に変えたり、鉄鋼生産に使われる工業用水を送水する役割を果たしています。
今まで見られなかった施設がいよいよ公開!
八幡製鉄所は、三つの地区から構成されています。まず、明治期からの八幡製鉄所創業の地である八幡地区。二つ目が戸畑地区で、八幡製鉄所の見学ルートの定番になっています。三つ目が旧住友金属の小倉地区ですが、2018年に休止が発表されています。今回は「八幡地区」と「戸畑地区」を順番にご紹介していきましょう。
世界遺産登録で話題となった「八幡地区」
今まで未公開だった八幡地区の施設が注目を集めています。たとえば、先ほどご紹介した旧本事務所が人気です。建物の老朽化によって、立ち入りが制限されていましたが、建物内部が見学できるバスツアーが開催されています。これは新日鉄住金が生産活動を行っているために非公開だった施設を、北九州市が無償で借りて整備したからです。世界遺産登録のおかげで、歴史ある建造物を見学できるチャンスが到来したというわけです。
見学ルートの定番「戸畑地区」
ここには高炉工場、熱延工場があります。敷地の広さは東京ドーム237個分もあり、鉄鋼の製造過程を五感で楽しむことができるのが特徴です。高炉工場では鉄鉱石を溶かして鉄をつくる工程を見学でき、熱延工場では鉄のかたまりを薄くのばしていく過程を見ることができます。
近代日本のモノづくりの歴史を体験しよう!
八幡製鉄所を見学するメリットは、日本のモノづくりの歴史を肌で感じることができる点です。江戸時代までチョンマゲを結った侍が歩いていた日本が、近代国家として歩み始めたきっかけが八幡製鉄所を含めた「明治日本の産業革命遺産」です。西洋技術を積極的に取り入れながらも、日本独自のモノとして発展させた経緯が建物から伝わってきます。
工場やモノづくりが好きな人はもちろんのこと、日本のテクノロジーの歴史に浸りたい人にぴったりの観光スポットです。新日鉄住金や各旅行社などが見学ツアーを行っているので、チェックしてみてください。日本という国がどのように発展してきたのか知る良い機会になるでしょう。また、かつては「産業の母」と呼ばれた鉄鋼。鉄鋼の生産で栄えた北九州市をはじめとする筑豊地区を実際に歩いてみることでも、製鉄・製鋼の発展の歴史を体験できるでしょう。
制作:工場タイムズ編集部