「『町工場のホンネ』直球インタビュー」は、日本のものづくりを支える町工場の経営者に、事業内容や経営戦略はもちろん、現在日本の製造業が持つ可能性や課題について本音で語ってもらうという新企画です。
第1回目は、「ハステロイ」や「インコネル」という特殊な合金の販売から加工までを自社工場で行う、株式会社井上マテリアル(横浜市港北区)代表取締役社長 井上英之(ひでゆき)さんにお話を伺いました。
さまざまな職種で培った、マーケティングの観点を工場経営に活かす
井上社長は、井上マテリアルの二代目として就任し今年で13年目。
創業当初の井上マテリアルは鋼材の商社業務だけを事業とし、加工や機械製造は他社に依頼していましたが、井上社長の代になって加工や製造業務も社内事業として導入。全国で5社程度しか取り扱う会社がないという、希少性の高い鋼材「ハステロイ」の販売から加工まで一貫して手がけることを強みとして、以後順調に事業を拡大してきました。
そんな井上マテリアルは今、どのような経営戦略を持って会社を経営されているのでしょうか。井上社長に詳しく伺いました。
「私はこれまで、商社の営業や商品開発、アスリート用トレーニングマシンの新規営業、ベンチャーのIT企業など、一貫してマーケティング畑を歩いてきました。
当初大企業で仕事がしたかったので、父親が創業したこの会社を継ぐつもりはなかったのですが、母からのたっての願いでこの会社を継ぐことにしたのです。
会社を継承して経営にあたるうち、商品を売るための仕組みづくり、つまりマーケティング的に仕掛けるというような考え自体が業界にないことを知りました。自社のホームページには、その会社の得意分野でないにも関わらずあれもこれも取扱い商品として掲載し、結果として顧客ニーズに十分応えることができない会社がほとんどなのです。
また、特に製造や加工などの業界では、現場たたき上げの職人さんがそのまま経営者になっているような会社が多く、高齢のうえに後継者もいないという状況です。このままでは将来的に(製造や加工を)やる人がいなくなってしまうのではないかと考え、製造や加工を社内事業として導入してきたのです。
当社はハステロイの扱いでは業界で5位以内には入っていると思いますし、ハステロイの鍛造(たんぞう ※金属を叩いて加工する技術)メーカーにもルートがあり、さらに機械によるハステロイの切削(せっさく ※切ったり削ったりする技術)加工にも実績がありますが、どれもナンバーワンではありません。
しかし、それぞれの事業の強みをかけ合わせていくことで、1+1は2ではなくなると思っています。言うなれば、『ナンバーワンでもなくオンリーワンでもない』けれど、それぞれを掛け合わせたその総合力こそが、他社には無い当社の持ち味なんです」
会社を継ぐ前に他業種でいろいろな仕事を経験し、そこで学んだマーケティングセンスを同社の経営戦略に活かしてきた井上社長。
井上マテリアルのホームページを見ると、マーケティングの重要性を意識していることがよくわかります。
町工場など一般的な製造業者のホームページは、企業の下請けとして製造を受注し、それが比較的長期間にわたる取引のため、会社概要くらいしか掲載されていないものが多いそうです。
近年会社のホームページは、扱う商品や特徴、理念などしっかりと伝えることが主流となっていますが、製造業界ではそうした流れもそれほど浸透していません。
しかし、井上マテリアルのホームページでは、井上社長が自社の強みだと語るハステロイやインコネルなどの鋼材の特徴や加工事例、お客様からのお問い合わせ事例など、初めてこのサイトを訪れた人にも同社がどういった会社なのかが分かりやすく記載されています。
商品や会社の情報をしっかりと伝えるホームページがあるということは、希少性が高く探すのが難しい鋼材を探している企業に対してはまさに渡りに船。
ましてや他社が情報発信についてそれほど熱心でないという状況において、しっかりとした情報の質と量をあわせ持つホームページがあることは、ビジネスとして大きなアドバンテージなのですね。
事実、ホームページからの問い合わせにより新規顧客をほぼ毎月のように獲得している同社。井上社長のマーケティングセンスには、確かな説得力を感じます。
そんなバランス感覚に優れた経営者である井上社長ですが、日本の製造業全体の現状や問題点についてはどう考えているのでしょうか。
「10年先にやる人がいない業界になる」日本の製造業への切なる危機感
「マーケティング」「総合力」といった言葉が話の中に淀みなく出てくる井上社長は、町工場の社長というよりはまるで経営コンサルタント。そんな井上社長の視点から見ると、製造業界全体に対して大きな危機感を感じるそうです。
「特に中小の加工業者さんは一人親方で後継者もおらず、引退したら廃業という会社がとても多く、国内の技術力が継承されないまま消えていってしまうという現状です。
私が自社で製造加工事業を展開したのも、業界の『5年まではいいけど、10年先は誰がやるのか』という危機感からでした。
また現在、金属加工で主流になっている技術にNC旋盤(せんばん)があります。NC旋盤はプログラムを入れればそのとおりに機械が金属を削ってくれるのですが、それも将来はAIなどに取って代わられるかもしれません。
そもそも人件費の安い海外でそのような機械を導入すればいい話なので、結果として国内の製造業者には発注がこなくなり、いずれこの仕事の人件費は下落していくであろうと考えています」
長く続く低成長時代に入り、社会全体が大きな岐路に立たされている現在の日本。特に製造業においては、業界全体の体質と自社の問題が直結しているだけに、井上社長が大きな危機感を感じていることが伝わってきました。
厳しい将来を見据え、旋盤技術者を呼んで若者に確かな旋盤技術を指導
製造業全体の現状に危機感を感じている井上社長。しかしその状況をも、マーケティング観点で見れば好機が見えるといいます。
「現在ハステロイの加工を行う旋盤技術者の顧問として、荏原製作所出身の70歳の方に週に1回来てもらっています。
ボタン1つでプログラム通りに金属を削るNC旋盤機が主流の現在、当社の汎用旋盤機(はんようせんばんき ※手作業で行う金属加工機械)は、ニッチなニーズではありますが、確実に残っていくと考えています。
若い人達には厳しい話かもしれませんが、将来の年金も70歳まで保証されないような社会の状況で、NC旋盤のボタンを押すだけのような仕事は今後なくなっていくでしょう。
それに比べ、当社のハステロイという特殊な合金を削ることができる旋盤技術は、すぐに身につくものではないですが、経験を重ねていけば、それだけの人材的価値が必ず出てきます。
また、汎用旋盤加工のニーズは基本的に少量であることが多いのです。そのため将来的に設備が海外に移っていくとしても、汎用旋盤加工を海外に発注した場合、運送費などがかさみ結局コスト高になるケースが多い分、今後も小ロットの発注が来る可能性は高くなると考えます。
ですから若い人には、職種や条件だけで仕事を選んだりと頭でっかちにならず、とにかく現場を体験してもらいたいですね。これは私がいろいろな業界で仕事をしてきた自分自身の経験から実感しています。
当社では、将来にむけてそうした技術を学べる環境があるので、チャレンジ精神を持った若い人にぜひ技術を身につけていただきたいですね」
このように新しい人材の育成を見据える井上社長。
最後に、これからの日本の製造業がどうなっていって欲しいか、その思いを伺いました。
「若者が技術を身につけていくためには、日本の社会構造的な問題を解決する必要を感じます。
ドイツでは『マイスター制度』という、ものづくりをめざす人間を育成することを応援する制度があり、ごく普通の学生たちが夢中になって技術を勉強しているそうです。
日本のように『とにかく大学は出ておけ』という風潮とはちがい、ドイツでは『早く技術を身につけて社会に出るほうが成功する』という選択肢もあるわけです。
私は大学卒業の資格などにはこだわりはないですし、大学無償化などよりそのようなものづくりの社会制度を導入したほうがいいのではないかと思っています」
人手不足から後継者が不足し、さらに機械操作などはどんどん自動化されるという社会的な流れも相まって、井上社長のお話から日本の製造業が置かれている状況が見えてきました。
しかし、マーケティング的な観点から見れば、ハステロイという希少性の高い鋼材とそれを扱う技術を持ち、しっかりと人材を育成して技術を継承できるシステムを備えた井上マテリアルという会社に、今後も大きな可能性を感じた今回の取材でした。
井上社長、ありがとうございました!
取材・文:柳澤史樹/写真:工場タイムズ編集部