色とりどりのガラスに、個性あふれる切込みのデザインが印象的な「切子細工(きりこざいく)」は、19世紀前・中期の江戸で生まれ発展してきた「江戸切子」と、薩摩藩の庇護(ひご)を受け現在は復刻生産されている「薩摩切子」の2つが有名です。
今回工場タイムズでは、東京の下町は葛飾区にある、大正12年創業の江戸切子の老舗・株式会社清水硝子(以下、清水硝子)専務の清水祐一郎さんにインタビュー。切子の歴史やこれからの展望についてお聞きしてきました。
栄えある場所を移り渡りながら発展したガラスの歴史
今回取材させていただいた清水硝子は、祐一郎さんのお母様である三千代さんが社長と務めているという家族経営の会社。
祐一郎さんは、工場に隣接したご自宅で職人さんたちと家族のように育った経験から、現社長の三千代さんをサポートすべく現在は専務として活躍されています。
さらに祐一郎さん、同業者で構成される「江戸切子協同組合」の広報スタッフを兼任。まさに江戸切子の過去・現在とこれからを教えていただくのにピッタリ。そんな祐一郎さんに、まずはガラスの歴史についてうかがいました。
「ガラスのはじまりは諸説ありますが、さかのぼれば古代には宝石の代替品としての歴史があり、そこからイスラム圏ササンガラス、また十字軍の時代を経て、世界的に有名なヴェネチアングラスへと至りました。
日本では、奈良時代に建立されたといわれる正倉院に所蔵の『白瑠璃碗(はくるりのわん)』がとても有名で、これは切子が施されたササンガラスが大陸を渡って渡来したものだとされています。
平安時代は日本でのガラス文化は一時期途絶え、ベネツィアングラス等が交易を経て戦国時代に登場しています。
その後は江戸時代に長崎出島を通じた交易や、八代将軍吉宗による蘭書解禁を経て蘭学が盛んになり、日本でのガラス普及が始まったようです。長崎奉行所の跡地からはガラス窯が発掘されています。
江戸切子は江戸末期に加賀屋久兵衛という人が工夫して始めたのですが、明治時代に入り品川に国営のガラス製造所ができ、先進のイギリスから技術を導入しました。そこで修業した今村仁之介という職人に、同社の初代創業者であり曽祖父である清水直次郎が弟子入りし、大正12年に弊社を創業したんです」
創業後しばらくはガラス工場付の切子職人として様々な仕事を行っていたという清水硝子ですが、その後日本も戦争の時代となり、多くの職人さんが出征するという悲しい物語もあったそうです。
そして迎えた終戦。戦時中は軍関連の光学レンズなどを製造していた、のちの“HOYA(ホーヤ)株式会社”が、戦後は高級クリスタル食器に参入。そこで高級クリスタル食器の下請け企業となっていた清水硝子は業績を拡大。一時期は40名ほどの職人が在籍するなどの大所帯だったのですが、その後は機械製造の量産品や不況に押され、やがて売上も減少傾向となり、現在に至るとのこと。
こうして激動の近代史をくぐり抜けてきた江戸切子ですが、近年は今後の発展を予想させるエピソードが生まれてきたそうです。
時代のニーズに併せて登場した新しい江戸切子の数々
たとえば、「下町のプリンス」として人気の芸人“東MAX(アズマックス)”こと東貴博さんと、奥様の安めぐみさんとの結婚披露宴で引き出物として配られたグラス。品のいい青と赤が映えます。
「もともとは奥様の安さんが取材で来ていただいたことがきっかけでご縁がはじまったんです。お2人がご結婚される際に引き出物として弊社の江戸切子を選んでいただいたんですよ。東さんに『私は下町のプリンス。彼女はプリンセスということで、王冠とティアラをコンセプトで作って欲しい』とご注文いただきました。
そして10個ほどのデザイン案を作り、選んでいただきました。納期までは1ヶ月半しかなかったので大変でしたが、下町をこよなく愛する東さんの思いを意気に感じて、職人と若手でなんとか300個以上を仕上げました」
いや、すごい!
また、下町といえば墨田区・押上にある東京のシンボル「東京スカイツリー」にも随所に江戸切子が取り入れられていました。
「東京スカイツリーの内装を担当するプロデューサーの方からお声がけいただき、4つあるエレベーターの1つ、夏のテーマの装飾に“隅田川の花火を連想させる切子のパーツ加工”を制作させていただきました。こちらも全部で300個を超える江戸切子が埋められた大作です。またチケットカウンターにも、下からLEDを当てた江戸切子のお皿が埋め込まれています。ぜひ観に行ってみてください」
写真を拝見するとまあ美しいこと!江戸切子と光との相性が最高ですね。
そして近年、「東京手仕事」という東京都の支援事業として、外部のデザイナーさんとのコラボ企画で生まれた「歌舞切子(かぶきりこ)」のグラス。
こうした新しい試みも、デザイナーが作りたいというイメージと切子技術の折り合いなどに苦労はあるものの、未来の可能性を感じさせる仕上がりです。
インタビュー後、工場内を見学させていただきました。
現在、清水硝子の職人さんは、70代が1名、60代が3名、その下に30代の若手が4人在職。ベテランと若手が一体となり、日々腕を磨いているそう。年代差はありますが、30代の職人さんが4人も在職しているところに希望を感じますね!
工場内では、終始みな無言で回転するホイールにガラスを押し当てる作業に集中していました。これぞ職人芸の世界!
伝統工芸の新参者だからこそできることがある
最後に「江戸切子、そしてこれからの清水硝子についてどう考えていますか?」という質問に対して、祐一郎さんは謙虚に、しかし前向きにこう話してくれました。
「日本では、木や漆、銅や鉄、そして焼き物などに比べれば、ガラスは伝統工芸としては新参者です。だからといってはなんですが、同時に柔軟で進取の気風があるとも言えるのではと考えています。
『歌舞切子』のグラスもそうですが、私たちは大手メーカーの下請けとしていろいろな製品をつくってきた強みを活かし、顧客の好みをコーデイネートする役割を担えると思うのです。
また2020年に東京オリンピックを控え、注目と動向が集まってきていますので、自社の商品をプロデュースしていきたいと思っています」
その美しさや芸術性はすでに “押しも押されぬ伝統工芸”の域に達している感のある江戸切子。しかし祐一郎さんの言葉には、曽祖父の直次郎さんや多くの職人さんたちが継承してきた江戸切子に対して、そして将来は自身が担うであろう清水硝子という存在を、次世代の文化としてアップグレードしていくことへの強い思いが込められていました。
江戸切子の将来が楽しみです。祐一郎さん、職人のみなさん、ありがとうございました!
株式会社清水硝子
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kirikoya/
取材・文:柳澤史樹/写真:株式会社清水硝子、柳澤史樹/取材協力:株式会社清水硝子