四方を海に囲まれた日本。
生息する生き物の生態や海底資源など、まだまだ未知なる神秘と可能性に満ちています。
今回は、全く未知の領域でありながらも、他業種の仲間たちと協力してついに深海探索機を作り上げた、町工場のオヤジ社長たちによる「夢実現の軌跡」をお聴きしました。
1話で終わりにするには面白すぎるストーリー、前編と後編の2回に分けてお送りします。ぜひお楽しみください。
すべては町工場社長が描いた壮大な夢から始まった
今回お話をお伺いしたのは、東京の下町、葛飾区にある「杉野ゴム化学工業所」の杉野社長。ゴムについては知らないことはない「ゴムのプロフェッショナル」ですが、当初深海探査機については全く知識がなかったそうです。
「私は海が大好きで、よく趣味である自分の船で沖に出ていました。景気がいいときはビジネスもうまくいっていたのです(笑)。
しかし近年、私のような町工場をはじめ製造業が衰退していく時代の波に直面し、自分の技術を日本の発展に活かせないだろうかと考えていました。十年ほど前のことです。そんな矢先に、『海の底にはまだまだ未知の資源があるはずだ』と考えたのがこのプロジェクトを始めるきっかけになりました。」
ある町工場の社長が、少年時代の夢だったロケットの部品を開発する物語が作品になりましたが、杉野社長が考えたのはまさにその”海バージョン”。
「むこうが空ならこっちは海だ!という感じでした」と明るく笑う杉野社長ですが、知識も経験も、お金もない状況。あるのは「杉野社長の情熱のみ」というスタートだったそうです。
「この構想を東京東信用金庫に相談したところ、芝浦工業大学と東京海洋大学を紹介されましたが、当初は誰もが実績のない未知の世界のため『何をいってるんだこの人は』というような反応でした(笑)。
さらにその後、海洋研究開発機構(以下JAMSTEC(ジャムステック))を紹介されました。当時、深海探査機を開発しているのは日本でここだけだったのです。
そこで、とにかくダメ元でもいい、教えてくださいとトライしてみたところ、会議にはこちらのメンバー5人に対し、技官の人が20名ほど出てきてビックリ。『これは叱られるんじゃないか』って思いましたね(笑)。
聞くと探査機の製造コストは1機につき150億円、探査船も200億円というスケールと聞いて本当に驚きました。そんな状況なので『もしアイデアがあるならぜひ提案してほしい』という展開になっていったのです。」
考えてみればもっともなのですが、深海探査を必要とするのは、ほぼ国の機関。しかも莫大な開発費と運用費の割にはビジネスとしての旨味が少ないため、大手企業も参入しない状況。ゆえに杉野社長の提案は、国家機関であるJAMSTECにとってはまさに渡りに船だったのです。
こうして杉野社長は、具現化にむけた30名ほどのチームを結成。描いた夢は国家プロジェクトの一つとして突然動き出しました。
「それまでの無人深海探索機を見せてもらいましたが、海外諸国(アメリカ・ドイツ・フランス・イギリス・ノルウェー・フィンランド)からの輸入部品なのにデザインもカッコよくない(笑)。江戸っ子気質ですから、日本のものづくりの力を活かして『カッコいいものを作ってやる』という思いが強かったですね。30名ものチームですから、たとえ難しいプロジェクトであろうとなんとかなるだろうと思っていたのです。」
順風満帆に見えた社長の夢実現への道。しかしその考えは開発の過程で無残に打ち砕かれてしまいます。
去っていく仲間、莫大な開発費…絶体絶命の危機に直面
プロジェクトの規模から、探査機全体を作るのは現実的でないと判断した杉野社長は、まず部品の開発から着手することにしました。
海底探査機では、海底や水中の様子を記録するためにカメラが不可欠。そこで杉野チームは、カメラなどの機器を入れる直径50センチの球体型耐圧容器の制作から取り掛かったのです。
耐圧容器は深海でものすごい水圧がかかるため、素材にはチタンを使用したいとメーカーに問い合わせをすると、大手企業はこれまたなしのつぶて。
そこで知り合いの金型メーカーにその制作を依頼したところ、半球の金型だけで4,000万円もかかることが判明します。
そのレベルで考えていったところ、なんと総計で8億円もかかるという見積りに!
一部はJAMSTECから共同開発費が支給されるとはいえ、中小企業集団である杉野チームにそんなお金はありません。気がつけば最初に30人いたメンバー構成も雪崩のようにどんどん崩れ去り、2人ほどになってしまったそうです。
「あのときは本当に大変でした。もう『3年で試作機をなにがなんでも開発しなければならない』という使命感だけが支えでした。必死にコストを抑えられる耐圧容器はないか、日々頭を悩ませていましたが、なにせ頭がチタンのコストから抜け出せない。辛かったですね。」
仲間はほとんどいなくなり、解決策も浮かばない絶体絶命の状況の中、杉野社長はJAMSTECの指導により、実際の調査に参加しながら必死に頭を絞る日々を送ります。
「そんな中、JAMSTECが『油田探査機などに用いられているガラス製球体ウキがいけるんじゃないか』とアドバイスをくれたんです。4,000メートルまでは水圧に耐えられる上に、市販品でコストも安い。さっそく取り寄せて試験をしてみたら、なんと8,000メートルまで耐えられることがわかった。ガラスなら透明だから窓も作らなくていいし、機械もすべてそこに入れておける。1年この容器だけで悩んでいましたが、そこから一気に開発が進みはじめたのです。」
苦しみぬいた末に突然訪れた夢実現への道。しかしその時に集まっていたメンバーは4社、最終的な開発費は2億円になっていたそうです。
「メンツもありましたが、このプロジェクトの成功はお金の問題ではなく、『小さな町工場でも力を合わせればできないことはない、そしてそれが日本の産業に大きな励みになるはずだ』という志のほうが強かった。だから実現できたんです。」
社長、それカッコよすぎです。志が奇跡を生んだこのストーリーには、ただただ感動!
メンバーの思いを載せた一号機「江戸っ子1号」ついに誕生
さて、いよいよ製品化へのステップを上り始めたこのプロジェクトですが、そこにはまだまだクリアしなくてはならない課題が山積でした。
「新江ノ島水族館が協力してくれ、閉館後にメインの大水槽を無料で貸してもらい、実験を繰り返しました。3Dカメラもソニーが無料で貸与してくれたのです。しかし2回に1回は失敗して、何台も壊してしまいましたが・・(苦笑)。」
試行錯誤のうえ、ついに2013年、プロジェクト初号機である「江戸っ子1号」が完成しました!
鮮烈なデビューを飾った江戸っ子1号はJAMSTECの尽力もあり、2013年11月、日本海溝約8,000メートルの最深部にて3Dハイビジョン撮影に成功するという輝かしい実績を残します。
その実績をもとに「江戸っ子1号」は、現在までにJAMSTECに4機を納品、いまも日本周辺の近海で活躍しています。
通常であれば約150億円かかる探索機開発を、下町の町工場チームがほとんど自分たちの持ち出しでありながらも約2億円で成功させたこのニュースは、製造業界だけでなく、各界で大きな驚きと称賛をもって迎えられることになりました。
こうして大逆転のミラクルストーリーで夢を実現した杉野社長ですが、彼の夢はそこで留まることを知りませんでした。
ある会合で聞いた「川の中を撮りたいんだけど」という要望に、持ち前のものづくり魂が再燃。「江戸っ子1号」に続き新しくプロジェクトチームを発足、超小型の深海探査機「DOBON(ドボーン)」の開発へ向けて歩き出すことになります。
既に「江戸っ子1号」での知見があるからその先も順調だったのでは?と思いきや、またまた新しい課題がチームを待ち受けていたのです。果たしてどんな物語があったのでしょうか!?
後編では「DOBON」誕生のストーリーを追ってみたいと思います。
「江戸っ子1号」オフィシャルサイト
http://edokko1.jp/
取材・文:柳澤史樹/写真:海洋研究開発機構、江戸っ子1号プロジェクト、工場タイムズ編集部/取材協力:株式会社杉野ゴム化学工業所